「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 ラオス編その7

こんにちは、阿津坂です。

まだまだ続くラオスのルアンナムターでの日々。日本語に飢えていた私。ネットカフェで見かけた日本人にすかさず話しかけた! »続きを読む

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 ラオス編その6

こんにちは、阿津坂です。

ラオスのルアンナムターでの日々。今もそのシーンを思い出すと、ちょっと胸の奥があったかくなるようなことが、今回はありました。 »続きを読む

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 ラオス編その5

こんにちは、阿津坂です。

ラオスのルアンナムターでの日々。今の日本では考えられないような光景が広がっています。。(もうラオスでも変わってきているかもしれませんが……) »続きを読む

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 ラオス編その4

こんにちは、阿津坂です。

ラオスのルアンナムターでの日々。旅でツイている時もあれば、ツイていない時も。そんな日々の1コマです。 »続きを読む

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 ラオス編その3

こんにちは、阿津坂です。

ラオスの最初はルアンナムターという素朴な町に滞在しました。 »続きを読む

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 ラオス編その2

こんにちは、阿津坂です。

ラオス編本格突入です。ラオスは思い出深い地なので、かなり続きます。 »続きを読む

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 ラオス編その1

こんにちは、阿津坂です。

ラオスはじっくり見て回りたかったけれど、30日のビザが取れず、しぶしぶ通り抜けたイミグレ。さて、いよいよラオスに入国です。もともと、この旅ではラオスに行くつもりは毛頭なかったのですが、出会った旅人に散々「ラオスは良かったよ!」と言われると、当然行きたくなるもの。ということで、向かったラオスですが、旅行者の言う通り「何もないけど本当に良かった」です。その良さが少しでも伝わるのを願っています。 »続きを読む

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 モンラー~ラオス

こんにちは、阿津坂です。

今回はモンラーからラオスへ向かうお話。陸上に国境のない日本出身の私からすると、陸続きで国をまたぐことはいつもドキドキ・ワクワクものです。 »続きを読む

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 景洪(景洪~モンラー)

こんにちは、阿津坂です。

今回は景洪からモンラーへ向かうお話。景洪もモンラーも中国の南端にあり、東南アジアへ向かうルートの途上にある町です。

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景洪(Jinghong)

バスの中から景洪の街を見渡すと、かなり東南アジア色が強くなってきた。熱帯の植物を街のあちこちで見かける。あー、やっぱりわたしは南国に来たかったんだなー。中国に時間をかけすぎた。いい体験はした。でも、中国はもういいかな。(というのが、この時の正直な感想だった)

街を出ると、いっそう南国色が強くなる。濃密な南国の空気や木々。これだ、これこそが私が求めたいたものなんだ。私はここに来るためにいるんだ。胸がしめつけらるような感覚だった。

モンラーまでは、4時間。さすがにおなかが空いてきたので、もってきたバナナとみかんを食べた。のだが、それがまずかった。食べたらトイレに行きたくなるって経験でわかっていたはずなのに! その後の3時間の苦しみようったら。

私の計算によると、12:00くらいに着くはず(途中で人を拾ったり、降ろしたりしているので遅くなる)。11:48、「あと12分でモンラーに着かなかったらヤバイ」と思ったとたん、モンラーに着いた。良かった!!!!!!

バスを降りると同時に「モンハー? モンハー?」の声。そうよ、オジちゃん、私はモンハーへ、そしてラオスに行くのよ。でも、先にトイレ!と叫んで、オジちゃんにトイレの場所を教えてもらった(笑)

オジちゃんのリアカー付の自転車でモンハー行きのバス・ターミナル(というほどのものでも、、、)まで。ガイドブックでは、通り1本挟んだところ、ということだったが、かなりゆっくりの漕ぎとはいえ10分近くかかった。よくわからん……。

でも、珍しかったのは英語での客引きである。中国国内、他ではほとんど英語での客引きはいなかったんである。

中国語で話しかけられ、「中国語話せないの」と英語で言うと、照れ笑いしながらさーっと引いていく、そんなんばっかりだったんである。オジちゃん、賢いよ、外国人旅行者もけっこういるんだから、英語話せたほうが商売としては絶対有利だよ、と思った。

もう使うこともないし、自転車こぎのねぎらいも合わせて、6元の値だったのを10元渡す。オジちゃんは、いろいろ親切に「ここで切符を買うんだ。ほら、このバスだ。もし(切符を買ってる間に)バスが去っても、次のがあるから」などとアドバイスをくれて去っていった。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 昆明 その3

こんにちは、阿津坂です。

今回は昆明から南下してラオスに行くまでの途中経路のお話。移動を始めると旅らしさが満載です!

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本日は移動なり。朝起きて、パッキング、チェックアウト、そしてバスのチケットを買いにバスターミナルへ。さて、ここからまた一人旅である。

20:20に昆明を景洪(Jinghong)に向かって出発。途中まで高速が走っているらしい(アジアン・ハイウェイの一環なのだろう)。バスもデラックスな様子。

で・も! デラックスなのはいいけれど、変なキーホルダーなんかいらないし、座席の途中から変なリクライニングになっているので寝づらいこと、この上なし。

サスペンションが利いてるのでガタガタ揺れないけど、その分道がカーブしているところで(しょっ中ある)やわらかくずーんと引っぱられる感じがして、余計に気持ち悪い。安いバスのほうが体に合うなんて……。

朝の6時ちょっと前に景洪に到着。すぐにモンラー行きのバスを見つけなきゃ、と見渡すと到着場所に、「景洪南汽車站」と標識がある。おかしい。ガイドブックでは「南汽車站」なんて書いてない。

モンラー行きのバスはないのか?と辺りを見ると、時刻表のようなものにモンラーの地名はある。とりあえず、モンラー行きのバスはあるよう。さて時間は? 時刻表には「相互(?)一小時一なんとか」(みたいな)。たぶん、1時間おきに1本。うーむ。朝の6時だから、始発には乗れる時刻だとは思うんだけど……。

切羽詰った私は、駅員らしきオジちゃんに「モンラー 我想到モンラー(←漢字)去」(私はモンラーに行きたい;たぶん合ってると思われる)と書いたメモを見せた。オジちゃんはメモに7:20と書いて、カウンターで待つジェスチャーを。確かに7:00になるとカウンターが開いた。同じメモを見せて、切符を購入。それには7:10とのこと。とにかくモンラーには行けるのだ。

しかし7:15になってもバスの姿は見えない。不安になって、先ほどのオジちゃんに切符を見せると「ここで待っていなさい、バスは来る」的なジェスチャー。確かに7:30近くになってバスが登場。おじちゃんは「ほら来たよ」と合図をくれる。良かったー!

一見かなりぶっきらぼうそうな人たちばかり。でも、片言でもメモでも何でも使ってコミュニケーションを取ろうとすれば、親切な人たちばかりなのでした。ま、日本人もそうよね。

(つづく)

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 昆明 その2

こんにちは、阿津坂です。

昆明のお話のつづき。特になんということもない旅の日常です。

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朝からお散歩。適当に歩いていたら街の中心地に。デパートはあるは、カルフール(フランス系のスーパー)はあるは、それこそブランド・シティみたくDCブランドがぞろっと揃った建物もあった。

はっきり言って、”いかにもバックパッカー”的な格好(フリース、カーゴパンツ、トレッキングシューズ、よたよたのバッグ)では、みすぼらしくて浮いてしまうんである。

街はほこりっぽくて、きったない屋台はあって、トイレはドアがなかったり、あっても使わない子(若い子でも)がいたり、ゴミはそこら中に捨てる、痰はレストランなどの屋内ですら吐く(都会ではしないのかもしれないが)、なんて国なんだけど、日本にいてもおかしくないくらいのオシャレをしている子(センスはともかく)はけっこういる。

ブーツなんか当たり前だ。けっこうな田舎でバスに乗っても、ジョッキーブーツを履いてる子がいたりする。ナイキの店なんか、日本にいるような錯覚を覚えるくらいピカピカだ。一歩外を出れば、ほこりっぽくゴミだらけの通りだけど。このギャップが面白いのかも(※この旅の時点で2007年)。

昼にようやくネットカフェを見つけ、メールチェック。スロヴェニアからのカップルは6時に宿に来てくれるとの事。もう少しぶらぶらして宿に帰った。

夜に彼らと合流。教えてもらった昆明大学近くの学生街に。学生街といっても留学生が多いので、各国料理が食べれたり、西洋的なカフェ&バーがあったりして、ちょっとオシャレな感じがあるとこだった。

インド料理を食べたいということなのでカレーを食べ、その後はカフェバーでおしゃべり。ここでは、信じられないほどクリィミーなチョコレート・ブラウニーを食べた。欧米人(=旅行者)がよく行くようなところだからって敬遠してると、こういうのを食べそこなってしまうなぁ、と「食わず嫌い(?)せずに、いろいろ間口を広げて楽しむことの重要さ」を痛感。

さてこのスロヴェニアン・カップル(ウルシャ&プリモス:Ursa&Primoz)は、よくしゃべるよくしゃべる。おかげで私はちっとも話さなくても、話は流れていくのでちょっと楽。二人とも面白くて、特にプリモス(♂)はやんちゃなとこがあって面白いのでした。

(つづく)

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 昆明 その1

こんにちは、阿津坂です。

今回から、昆明のお話。昆明は中国南東部に位置する大都会。なので(?)あんまり大事件は起こらず、ちょっとほっと一息ついた感じです。

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昆明

 

シャングリラからバスで昆明(Kunming)へ。ついに11月。朝から同じ宿にいる、熱心なキリスト教のおじちゃんにつかまって延々と宗教の話をされてしまった。

「キリスト教をどう思うのか。なぜ信仰しないのか」「仏教のどこが良いのか」とかなんとか。

防戦一方ではありましたけど、かなり言い返しましたよ。そんなことしてたって、ちっともキリスト教を信仰しようって気にはならないのにね。

なんか、ここしばらく心が浮かない。暖かいとこに行かないとね。

 

やっとのことで、このおじちゃんから逃げ出した後は、宿の辺りをぶらぶら。とにかく水とティッシュペーパーを確保せねば(中国のトイレにはトイレットペーパーがない。なのでティッシュペーパーの確保は必須)。

近くのショッピングモール&スーパーを巡った後は、宿に戻ってHUMPという宿を目指す。

成都と麗江で会ったスロヴェニアからのカップルから「いつ昆明に着くの? 私たち日曜には深釧には移動してしまうの。昆明にいる友達からいろいろ昆明のことを教わったから、ぜひ会って教えたいのだけれど」というメールをもらっていたのだ。ならば、行かざるをえまい!

というわけで、昼に「夕方の6時にそちらの宿に向かう。いなかったとしてもメモを残しておくね」というメールを送っておいた。

バスに乗って、目指す宿へ向かう。彼らの宿がある辺りは中心地のよう。(バスの乗り方は簡単で、乗り口に数字が記されているので、それを払う。料金は一律、ただしバスが新しかったりすると同じ路線でも料金が高かったり。シャングリラでは降りるときに払った。だいたい1-3元)

宿は簡単に見つかったけど、案の定2人はいなかった。メールを送ったの、今日だもんなー。

戻ろうとしていると、麗江で会ったスウェーデンの女の子2人組と目が合う。「また会ったねー」なんて感じで会話が始まり、30分ほど付き合ってくれた。彼女らはこれから景洪→モンラー→モーハン→ラオスと目指すそう。私とまったく同じルートである。

気づくとこの宿には麗江で会った何人かを見かける。みんな同じような宿に泊まってるんだなー。そしてそのラオス行きには、アンガスというアメリカ人も一緒なんだそうが、この人が「ほんとにアメリカ人??」(失礼)と思うくらいまったく寡黙な人(見た目は、ロバート・ダウニーJr似)。

その彼がこのスウェーデン・ガールズと同行するとは! スウェーデン・ガールズと話してるときにも、このアンガスがすれ違ったので、「Hello again!」と言ったのだが、「あぁ」てな感じで軽く会釈をするが、目はあらぬ方向である。なんだかなー、なんか嫌われてる?と思ってしまうくらいな寡黙な人なのでした。

(つづく)

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 シャングリラ その2

こんにちは、阿津坂です。

今回から、シャングリラのお話のつづき。ドミトリーで同室のユリア(イスラエル出身)がお誕生日だったので、一緒にお祝いしました。

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朝起きると、同室のイスラエル出身のユリア(Julia)が

「今日は何か特別な予定ある?」と聞くので、

「特に何も。なんで? なんか特別なイベントでもあるの?」

と答えると、今日が誕生日なのだそう。

ということで午後からK君も一緒にお出かけすることに。タクシーに乗って郊外の湖へ。湖への入場料が190元もしたので、そこには行かず、辺りをぶらぶらすることに。

山並みの間に沢があって牛が放牧されていて。高地なので緑はかなり少ないし、かなり風が強い日だったけど、雰囲気は抜群でした。ユリアは東アジアを研究していて、中国&日本びいき。そこで日本と中国のこととか、パレスチナとイスラエルのこととか話したり。

夜は、K君と、K君と同室のマレーシア出身のサイモン(Simon)とご飯。その後、ユリアの誕生日をケーキ&トランプでお祝いした。

翌日、ユリア、マレーシアのサイモン、K君の3人がそろって、さらに北部の町へ移っていった。私は彼らを見送って、一人。久しぶりの一人を味わった後、チケットだのお昼だのを済ませていざ長距離バスターミナルへ。さて、一人旅がまた始まります!

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シャングリラ。聞けば、「あーあの、理想郷とかいう?」と思い浮かぶ人もいるのでは。実際には、中国の小さな中堅の町にちょっとチベットテイストが加わったようなところ。(「シャングリラ」はイギリス人の小説家によって描かれた「理想郷」。中国政府が「シャングリラはここである」として「中甸」を「シャングリラ(香格里拉)」として地名を変更した)

古城区に行けばチベット風の建物が立ち並んでいるが、すべてみやげ物屋かゲストハウス。普通に想像するような理想郷のかけらは、ちょっと離れたような農家にしか見当たらない。それももっと奥のチベットエリアに入ってしまえば、見慣れてしまうような風景なのだろう。ただ、それでも私は理想を見たように思う、シャングリラという土地で。

それは、23歳で宿を開き、この地に根を下ろし、妻とともに生きていっている宿屋の主人。そしてその奥さん。

言葉では、2人の何がそんなに私を惹きつけたのか上手く説明できないのだけれど、しなやかにそしてしっかりと地に添い、それでいてのんびりと、緩やかに、親しく、生きている2人を思い出すと、(ある種の)理想を見たような気がする。

(つづく)

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 シャングリラ その1

こんにちは、阿津坂です。

今回から、シャングリラのお話。旅で出会った日本人のお話のつづきです。

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シャングリラ

 

K君とともにバスでシャングリラへ。お昼過ぎには着き、宿が集まっている古城区域へ。

最初にあった龍行青年旅舎(Dragon Cloud Youth Hostel)に泊まることにした(当然、ドミトリーの部屋)。

お腹が空いたので、宿で教えてもらったご飯屋さん(紅心小吃)に。豚肉と野菜の炒め物、きゅうりと香菜のサラダを頼んだのだが、好好好好吃(おいしいーーーーーー!)。

宿で美味しいレストランを教えてもらったのは、今までイギリス、イタリア、そして今回の、3回(「う~ん、よく知らないなぁ」とか「ここら辺にはないよ」と答えられたこともあるので)だけれど、どれも外したことがない! すっごい美味しいところを教えてもらった。旅で美味しいところを見つけたかったら、宿の人もすごく良い情報源だと思う。

その後、小高い丘に登って放牧風景を見たり、チベットカフェ(西洋人向けのカフェ)でぼんやりしたり。とにかくその間、K君と宗教だの何だのず~~~~っと話していた。

夜は、暖炉のところでビールを飲みながらまたおしゃべり。話は個人的な体験などの、かなりディープなものに……。

これが、色恋話ならまだ可愛いもの。麗江の時もちょっと片鱗は見たけど、ここではっきりと判明したのだが、実はK君はスピリチュアルなものにどっぷりハマっているのだった。

日本ではスノボのインストラクターをやっていた、などの、「爽やかな好青年」という見かけを裏切らない内容もあったのだが、その一方で私がチベット仏教に興味があると話すと一気に話はスピリチュアルなものに。

「知っていますか? この世界には精神的に目覚めた人がいるんです。そのうちの1人が青海省にいるそうなんで、僕はその人に会いに行きます。阿津坂さんも、興味ありませんか? 一緒に行きませんか?」とのこと。……丁重にお断りしました。

(実はその後、私が帰国してからもしばらく、彼からは一斉メールが送られてきたのだが、どんどんスピリチュアル度は増してゆき……。

2011年の8月頃には、「2012年12月21日 マヤの暦がそこで終わるという話に関して…(中略)…どうやら この年月は旧暦に変える必要があり、 実際は2011年 10月28日であるということ」などと語るメールが届きまして。

日本は情報統制がされているからこういった情報は表に出てこないだの、暗黒惑星ニビルが近づいてきているだの、非常に不思議な話をした後、10月も過ぎ去った12月に「本当に1年ありがとうございました。すべてがありがたい、ありがたい」というようなメッセージを最後に途絶えました……)

(つづく)

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 麗江その4

こんにちは、阿津坂です。

今回は、麗江でのお話のつづき。旅で出会った日本人のお話・序章、の巻です。

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午前中、庭のテーブルでぼーっとしてると、中国人らしき青年が。「Hello」と言おうとして一瞬迷い、足元を見ると雪駄。日本人……?と思ったけど、手には中国語のチラシがなぁ、、、と思っていたら、日本人と判明。K君と言う(そのときはあんまり自己紹介しなかった。向こうも私を韓国人かなと思っていて、お互いに日本人ということがびっくりだったのだ)

その時に、翌日に話しましょう、ということだったのだが、朝には姿を見かけず。1時間半待って、街に出ることに。途中でプラハ・カフェを見つける。西洋人のツーリストが多いとこには必ず西洋人向けのカフェがある。そして、そういうとこはけっこう日本人向けにも本がおいてあったりする。

最初は通り過ぎたけど、2回目に近くまで来た時に誘惑に抗えずに入ることに。結局、そこで5時間過ごしましたよ。何してたかって、『日出処の天子』っていう漫画を読んでいたのだ(聖徳太子をモデルにしているが、かなりの脚色が入っている。なかなか面白い)。1回読み始めると止まらず……。その間、プーアール茶、しょうが焼き定食、チーズケーキ、カプチーノをオーダー。計61元。小ぶりの麺なら10元で食べれるところで、ですよ。

でもおかげで元気が出ました。旅には、たまにはこうやって自分を甘やかす時も大切……(って、旅自体が自分で好きで出ているのだが……)

夕方、宿に戻ると、K君が1時間ほど私を待っていたが、今しがた出て行ったとのこと。ご飯を約束していたので、庭のテーブルで本を読みながら待つことに。アイルランドからのおじいちゃんと途中話したり。その後、戻ってきたK君と彼の友達のMちゃんと話す。

翌日、K君と麗江の古城&新市街を1日中ぶらぶら。いろいろなことを話したり。友人関係のことだとか、旅のことだとか。K君はシャングリラへから東チベットを目指すというので、ついでにシャングリラまで着いていくことに。シャングリラは行きたいなーと思いつつ諦めていたし、誰かと旅するというのに飢えかけていたから。いつも一人だとね。(一人だと、旅中ずっと気を張っていないといけないという部分もある。トイレはどうする、とか、途中の食事はどうする、とか)

 

ちなみに、この時もその後もまったく色っぽい空気はなく。K君はいたって普通の好青年、って感じだったのだが、後々彼の別の面が判明していく……。

 

(つづく)

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 麗江その3

こんにちは、阿津坂です。

今回は、麗江でのお話のつづき。疲れて寝込むことがあれば、嫌なことで凹んだり、ちょっとした親切でほっとしたり。長く旅していればいろいろあるよ、の巻です。

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旅の疲れが出たのか風邪を引いてしまい、ベッドから起き上がれず。午後にちょっとお散歩したものの、それだけで息が切れる。宿に戻ってちょっと横になったらあっという間に眠気に襲われる。昼寝をした後、宿でご飯食べたら英語の嵐!(ネイティブが多かったのだ) つ、つかれた。

風邪&英語での気疲れで気分が滅入っていると、成都で出会ってこの宿で再開したスロヴェニアのカップルが心配してくれた。彼氏の方が数日前まで風邪だったそうで、桃のシロップ漬けをくれた。こういう時の親切って本当に心に染みる。(この2人とはその後も長く続き、2人のバリでの結婚式にも出席し、スロヴェニアの新居にも遊びに行き、今もって親交が続いている。どういったことがキッカケで友人になるかはわからないものだ)

翌日起きると、2日ほど1人独占できていた3人部屋に、また人が。人がやってきては去っていくのが宿。さて、うつらうつらしながらぼーっと寝てると突然、

「カメラがない!」

今日来たうちの1人が西洋人の女性で、カメラが盗まれたのだと言う。

よくよく聞くと、彼女はこの部屋でシャワーを浴びてるときに盗まれた、んだそう。そんなバカなと、「誰もこの部屋に入ってこなかったわよ、たぶん」と私。彼女はそれに対して何も言わなかったけど、つまりこの私を疑っていたのだ。

「んなバカな! 失礼にもほどがある!」と思ったけど、「私じゃない」と言うほうがバカバカしいので、一応心配してあげつつ、放っておいた。夕食時に彼女がその話を持ち出すと、同席した人たちから「私も盗まれたわ、きっとバスの中でよ、よく聞く話よ」となったで、とりあえずホッとした。失礼な話!

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 麗江その2

こんにちは、阿津坂です。

今回は、麗江でのお話のつづき。

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さて、夕食。宿のレストランでは1人10元(30円ほど)出せば、食べ放題に近いくらい料理が出てくる。1テーブルに6-8人、1人1人にお茶碗とお箸が与えられて、テーブルに6-7皿料理が出て、めいめい好きに料理を取る(取り皿はなし、ご飯の上に取るか直接食べるかが中国式のよう)。

もちろんテーブルトークが付いてくる。英語の特訓が続いた……(一人旅、特に安宿を泊まり歩く旅は、本当に英語の練習にはもってこい……)。

それと、英語の特訓だけではない。テーブルマナーについても「欧米式にいくべきか? いやそれとも中国なんだからアジア式? っていうか、アジア式ってどういうの? でも、ここでアジア人て私1人だし……」と気疲れのネタは尽きず……。

食事の後は、アメリカ人男性(名前忘れた)、ジュヌヴィエーヴ、その友達のドイツ出身のアナ、私の4人でDVDを見に行くことに。かるーい映画を選んだつもりが、なんと第二次大戦にユダヤ人がどんな体験をしたかというのを、アメリカ人の女の子がタイムスリップして経験するというもの。

見終わった時の空気の重かったこと、重かったこと。誰か途中で、ドイツ人がいるんだから止めよう……っては逆に言いにくいよね。

終わっても、しばらくアナはしゃべりませんでした。

 

この時のブログに以下のことを記している

==

繰り返し繰り返し描かれるユダヤの悲劇。ドイツの大戦に対する赤裸々とも思えるような対応。日本と中国の関係。

考えることは大事だと思う。しかし、論議のための論議になりはしないか?

各個人が本当にその問題について考えたことがあるだろうか? 考えて生きてきただろうか?

私は否だ。それなのに付け焼刃の考えで、場を納めることが本当に良いこととは思えない。

心底に感じ考えたことでなければ、語りたくない。そして、大戦については、どうやっても今の私では表層的なことしか語れないし、抱え込むには、申し訳ない、私は弱すぎる。

==

今の私は、やはりそうは言っても語り継ぐことの大切さ、いろいろな意見を聞くことの大切さを感じる。そういった意味でも、違う国籍、違う文化、違う考えの人との交流とは、本当に大切なことなのではないかな、と思う。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 麗江その1

こんにちは、阿津坂です。

今回は、麗江でのお話です。

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麗江

 

一夜明けて晴天の麗江。成都のゲストハウスで話したEuropeanからオススメされていたMama Naxi Guesthouse(久しぶりに今回このゲストハウスの紹介ページを検索して見てみると、昔はもっとボロっちい感じだったが、えらく内装が変わっていてモダン(?)な感じになっていた。だが、食堂に大きなテーブルがあって宿泊者は相席になって食べたり、中庭にテーブルが置いてあったりという、宿泊者同士が交流できる雰囲気は残っているようだった)。

Mama Naxi Guesthouse

朝食を食堂で食べた後、庭のテーブルでアメリカ人と話してると(この間ずーっと朝から英語漬け。相席になるので、欧米人らしい和やかなテーブルトークに参加せざるを得ない。今ならありがたく参加するところだが、この頃はさすがに気力がついていかなかった……)、ケベック出身のジュヌヴィエーヴ(Genevieve)とオランダ人のヤン(Jan)が黒龍潭に行くというので参加させてもらうことに。

黒龍潭というのは麗江の旧市街の外れにある公園で、中国式の庭園が楽しめる。特に園内にある黒龍潭(潭は池などの水を深くたたえた所を指す)には、近くにそびえる玉龍雪山が湖面に映りこみ絶景なのだとか。

黒龍潭

さて、ここからが問題。入り口に着いたものの、ジュヌヴィエーヴが「タダで潜り込む方法を教えてもらったから」と言って、3人で脇から潜り込もうと茂みに突入したりレンガをよじ登ろうとしたり悪戦苦闘。入園料は日本円にすればたかだか数百円。、タダで入れる方法があるのになぜわざわざ払う?という考えの欧米人と、それぐらい払えばいいじゃん……と心のなかで思いつつも何も言えない日本人の私。結局、1時間ほどうろつきまわった後に、観念して入場料を払って中に入りました(笑)

公園をうろつくけど、それほど感銘を受けるものではなかった(しかし、今回ネットで検索するとわりと綺麗な公園である。なぜ当時はそんなに綺麗だと思わなかったんだろう……)。しかし、雲南省北部の少数民族・ナシ(Naxi)族特有の東巴(トンパ)文字や文化を研究する東巴文化研究所があり、東巴文字の経典を見学できる。東巴文字は世界ではもう数少ない象形文字(絵文字のように、その文字を見ると意味が推測できるもの)で、今ではほとんど使える人がいない。それが見れたのは面白かった。

だらだらしゃべりながら、公園を歩き回るが、時に話は第二次大戦にからんだり。日本軍は東南アジアのオランダの植民地で、オランダ人捕虜にかなりひどい扱いをしたため、戦争体験者には日本に非常に怒りを抱いている人がいる(イギリス人にもいる)。このことは、成都にいたゲストハウスで会ったオランダ人からも少し話がそういったことに触れることもあった。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 成都その3

こんにちは、阿津坂です。

今回は、成都から麗江までの移動中のお話のつづきです。

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さて、バス旅は続く……。とは行かず。途中まで順調に進んでのだが、山道でトラブルがあり、いったん停車し様子を見ることになった。どうもえらく時間がかかりそうで、乗客が全員降りていくので、私も降りることに。ドライバーのおじちゃんの様子から、置いていかれることはないだろうと判断し、付近の山を散策し始めた。

午後遅く、日が陰ってきている。段々畑がある中を写真を取りながら散策し戻ってきたら、やっと戻ってきた!と言わんばかりに手招きされた。どうもタイヤの具合が悪いらしく、しきりにカメラでタイヤを撮れと合図される。一応指示されるがままに撮ってはみたものの、実は私が持って行ったカメラは2つともフィルムカメラ……。つまり現像しないと手に入らないのだ。まぁ、でも何かの助けになれば、と思い写真に撮った。

000131

その時に撮った写真……

その後、なんとか騙し騙しなのか、バスも動き始めたその矢先。ものの30分も走っていないだろう。なんと今度はがけ崩れ!!! 全く通行できない状態になっており、車が十数台たまっている。実は、旅先でがけ崩れに遭ったのは、今回が2回め。1回めは、インドのヒマラヤ山脈の山奥で、まさに死ぬかと思った経験がある。

今回もどうなることやら、と思ってはみるものの、実際どうしようもない。バスの中でおとなしく待つしかなかった。夜もふけてくる……。お腹も空いてくる……。今頃、本当は着いているはずなのに……と思ったところで、なんにもなりはしない。

深夜12時近くなったころ、ようやくドライバーが乗客にいろいろ話し、事が進んだ様子。いろいろあった後、ドライバーが若い20歳前後と思しき青年にと私の顔をチラチラ見ながら話しかけた。その後、こいつに着いて行け、的な感じで指示され、彼も私を見ながらがけ崩れの岩を登っていく。とにかく、彼についていけばなんとかなるのだろう。推測するに、こいつは中国語を話せない外国人だが、お前は英語を話せるだろう?(たぶん、彼は大学生?)、こいつの面倒を見てやってくれ、よろしく頼んだぞ、とドライバーのおじちゃんは言ってくれたのだろう。

がけ崩れの向こう側に着くと、ワゴン車が待っていた。それに乗れば麗江まで連れて行ってもらうのだろう。大学生らしき彼は、「麗江のどこに行きたいんだ?」と聞いてきたので、宿を取っていたホテルの名前を告げた。その後、記憶が曖昧なのだが、宿にも連絡を取ってくれて、遅れてチェックインをすることを伝えてくれたような気がする。ただ、それ以降、自分の役目を終えたとばかりに彼はむっつり黙ってしまった。まぁ、いいんですが……。

しかし、ものの15分ほどで麗江にはなんと着いた。街に入るほんの手前の山道のがけ崩れで、通行できなくなっていたのだ。

とにもかくにも麗江に無事に着いた!!!! 寝場所も確保できた!!! 

 

<成都の写真>

000145成都の街並み

 

000117朝早くにお粥を売っていた屋台(?)

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

「レアもの」旅行記:ディープ・アジア編 成都その2

こんにちは、阿津坂です。

今回は、成都もそうそうに飽きてしまったので、次の麗江までの移動中のお話です。

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帰ってきた私は、成都にも用がなくなったので、次の目的地である麗江(Lijiang)に向かった。麗江に向かうにはまず鉄道で攀枝花(Panzhihua)に向かい、そこからバスに乗り換えて行く必要があるとのこと。

 

鉄道はわりあい簡単なのだが、さてバスはどうかな、、、と思っていたが、攀枝花の駅の横にバスターミナルらしきものがあったので、バスを探すと車体にでっかく「攀枝花-麗江」と書いてあったので簡単に見つけることができた。上海で手に入れていた「◯◯行きの切符 大人1枚」の表現が役に立ち、ここでも問題なく切符が買えた(が、実は問題なく買えていなかった……)。

どうも、本来なら攀枝花站(鉄道の駅)→攀枝花汽車站(バスターミナル):ここでチケットを買う→麗江に向かう、というのが順番だったらしく、途中でみんなが降りてったところがあったのだ(つまり、そこがメインのバスターミナルで、本当はそこでチケットを購入しないといけなかった)。

しかし、事情をわかっていない私は、「このバスは麗江まで行くもんだ」と思っているので、「麗江でもないのに、降りちゃダメじゃん」(麗江でないのがわかったのは、たかだか数分しか乗っていなかったし、町中をぐるっと走っただけだったから)ということで途中下車を嫌がったら、「あーこいつ言葉わかんないんだ」と察したドライバーのおじちゃんが「わかった、とにかくここに座ってな」と。

バスセンターみたいなとこに入って、建物のガラス向こうには乗客が待っていて、私はバスの中。しかし、今さらどうしようもなく、ただひたすらにおとなしく座っていた。しばらくして、ドライバーが何か言ってお金のジェスチャーをしたので、彼にお金を支払う。やはりなぁ、4元なわけないと思ったもん(だったら、もっと早く気付け!って感じだが……。攀枝花の駅で払ったのは、攀枝花站→攀枝花汽車站の料金だったもよう)。

さて、ともかくもバスは出発。攀枝花を出ると山道をひたすら走っていく。

途中で、道端の田舎家を改装したようなところで止まった。おそらく食事休憩なのだろうが、言葉は全く通じないであろうし、どれぐらいの休憩時間が設けられているのかわからないから、食事が終わったらバスが出発していた、なんてことになったら一大事!と思い、食事を取るかどうか逡巡していると、それを見て取ったのか、ドライバーのおじちゃんが手招きする。助手らしき若い10代と思しき青年とその田舎家の台所のほうに向かっていく。

座れ、と指示があったので座ると、お茶が出てきた。食事が出てくるまで間、運転手が質問してきたので、持っていたメモ帳とペンを差し出して「書いて、書いて」とジェスチャーした。そこからお互いの筆談が始まった。自分が日本人であること、旅行中であること、仕事のことなど、思いつくまま、お互いがわかる範囲で質問のやり取りをした。

そのうち食事が運ばれてきたので、会話はそこで途切れたが、食事が済んでお金はいくらだろうかとお財布を取り出すと、バスの運転手は制して「いらない」というジェスチャーをした。なんと、彼が全部払ってくれたのだ。最初、「言葉の通じない外国人だ。見かけからすると韓国人か日本人か?」といったような眼差しを向けられていたので、ちょっと警戒していたのだけれど、こんな親切心を見せられると一気に和んでしまう。

こういったことが旅の醍醐味だなぁと思うし、コミュニケーションの楽しさだな、と思う。

 

(つづく)

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

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