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1964年日経新聞「私の履歴書」

2017.07.04

赤峰です。

 

1964年、日経新聞「私の履歴書」町村牧場創業者・町村敬貴氏の記事を入手しましたので、少しだけご紹介させて頂きます。FCCの「土づくりセミナー」は町村氏の教えを元に誕生したものです。

 

私は一介の牛飼いである。若い頃、米国に長い間生活したのも、牛を飼う技術を習得したい一心からである。

 

明治39年(1906年)、農学校を卒業と同時に渡米した。横浜港から”留学生”としてではなく”労働者”として出発した。シアトルに到着したが、身寄りもなければ、言葉も通じない・・・最初の1年はシアトル付近の牧場で過ごすも、西部の牧場は経営が粗放で、ろくな牛もいなかった。もっと牛を学びたいと不満だった。

「牛のことを学ぶならもっと良い所がある」とウイスコンシン州にあるラスト兄弟牧場を紹介してもらい、この牧場での経験が今日の私を創ってくれたのである。

ウイスコンシン州にはヨーロッパからの移民が多く、これらの移民は本国から進んだ技術を持ってきた。技術とはつまり草つくりで、良い草をつくることを”お家芸”として米国に移住したのである。良い草はよい土壌にできる。これが酪農の本質で、私が米国でつかんだのはこの「土づくり」の原理で、それが信念になった。

牛に関しては米国の青年には負けないという自信がついたので、大正5年(1916年)10年間の滞米生活に別れを告げた。

 

よい牛をつくるには、牛の好む草をたっぷり与えなければならない。その草は良い土壌に育つと言うのが私の米国で学んだ真理だ。つまり、牛、草、土が三位一体というのが酪農の本来のあり方である。

良い草が作れる土地が欲しい・・・・この願いが次第に強くなってきた。「江別に土地がある」と紹介されるも、その土地を見て驚いた。人間に例えるなら栄養失調の重病人、再起不能と思われるようなひどい土地だった。

「よし、ここで米国で学んだ成果を総ざらえしよう。ここで自分を試すことが米国に対する恩返しだ」と、土地と悪戦苦闘することを覚悟し、昭和2年(1927年)江別に移住した。

 

新しく求めた土地は湿地帯で、水分を追い出す為に暗渠排水から着手した。近くのレンガ工場に頼んで実費で土管を作ってもらい、出来上がった土管を10年かけて土中に埋めていき、排水に成功した。次の問題はひどい酸性土壌の土地を改良することだった。酸性土壌を中和する為には、石灰を大量に投入しなければならない。これも幸いなことに近くの製紙工場の周りに石灰の塊が山積みされており、それを無料で譲り受けることにした。しかし、石灰は粉砕して細かくしなければ使えない。そこで道庁と交渉して米国から道費で機械を購入することになる。紛砕した大量の石灰は付近の農家にも分けた。ところが付近の農家から「どうも効果がない」と不評判で誰も引き取ってくれなくなった。これが幸いして紛砕した石灰の全てを私の土地に投入出来た。10年すると石灰の効果が現れ、よい草ができるようになった。

 

土地改良に10年かかって、よい草が出来るようになり、牧場経営が軌道に乗るようになった。

 

 

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